映画『モービウス』の感想になります。
ネタバレを含みますので、お読みになる際はご注意ください。
2018年公開の『ヴェノム』、2021年公開の『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』に続く、『ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)』の第3弾となるのが本作、『モービウス』になります。
スパイダーマンの原作コミックに登場するヴィラン(敵役)のひとりである、モービウス・ザ・リビング・ヴァンパイアを主役に据え、彼がその特殊な能力を手にするまでのオリジンを描いています。
SSUに関しての詳細は以下の記事で書いていますので、良かったら見てみてください。
本作は本来、2020年1月に公開される予定でした。しかし、コロナ禍の影響で公開が延期となったため、「延期になったことだし、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の後に公開にしたろ!ついでに今後のSSUのためにそっちとの繋がりを匂わすシーン入れたろ!」みたいな感じになったようです。知らんけど。
そうしたスケジュール調整の結果、2022年4月の公開と相成った訳ですが、コウモリ繋がり、かつその人気はアメコミヒーロー界のトップオブトップと言うべき『ザ・バットマン』と公開時期が見事に被ってしまうというね…。かたやこちらはそこまで知名度もないし、ヒーローでもないというね…。ドンマイ…。
ちなみに次のSSU作品は、2023年に『クレイヴン・ザ・ハンター』が公開予定との事。SSUはヴィラン側を描くユニバースになるんすかね。MCUやDCEUとの差別化も図れるし、良い試みなのではないでしょうか。そーいや、『クレイヴン~』は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でピエトロ・マキシモフ/クイックシルバーを演じたアーロン・テイラー=ジョンソンが主演らしいですが、『スーサイド・スクワッド』でジョーカーを演じたジャレッド・レトが主演の本作といい、他のアメコミ映画で死んだ(もしくは無かったことにされた)キャラクターを演じた俳優を起用する方針なんでしょうかね。知らんけど。
本作の監督は、スウェーデン出身のダニエル・エスピノーサ。
2017年公開の、宇宙ステーションという閉鎖的空間で未知の生命体にクルーがドンドン殺されていくSFスリラー、『ライフ』の監督を務めたお方らしいです。『ライフ』、我らが真田広之も出てるし見たいと思ってるんだけど、そういえばまだ見てないや。
主演は上述の通り、ジャレッド・レト。スースクのほかにも、『ブレードランナー2049』や『ハウス・オブ・グッチ』など、多数の作品に出演している実力派の俳優です。
主人公の親友を演じるのは、イギリスの俳優、マット・スミス。イギリスのTVドラマ『ドクター・フー』が有名らしいですが、見てないのでわからない…。顔の凹凸がすごくて、最初見たとき特殊メイクかと思いました。
そのほか、『パシフィック・リム:アップライジング』に出演したアドリア・アルホナや、『ワイルド・スピード』シリーズのタイリース・ギブソンなどの俳優が出演しております。
そんな本作、本国アメリカの批評家の評価がすこぶる悪いようで。
かくいう僕も見る前は、「ヴェノムみたいにダークさとポップさどっちつかずになってたらやだなー、でもSSUの事だからそうなってそうだなー」と思っていて、正直期待値低めでした。
そんな心持ちで鑑賞した直後の感想がこちら。
僕は普通に面白い映画として楽しめました。
確かに、『アベンジャーズ』や『ノー・ウェイ・ホーム』のような作品と比べるとスケールが小さく感じますし、予想を遥かに超える面白さ!とまではいかないんですが、粗はありつつもモービウスというひとりのキャラクターをじっくり描写していて、好感が持てました。ゴア描写は物足りないですが、ヴェノムの時よりも頑張ってたと思うし、ポップさは無く終始ダークな雰囲気だったのも、個人的に良いと感じた点。批評家の評価も参考にはなりますが、やっぱり実際に見てみない事には面白さはわからないもんですな。
てな感じで、感想に参ります。
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マイケル・モービウス(演:ジャレッド・レト)は、若くしてノーベル賞を受賞するほどの天才医師。彼は血液の難病を患っており、同じ病で苦しむ人たちを救うために、必死で治療法を研究していました。
マイケルは、コウモリと人間のDNAを結合させることで、この病を治療出来るのではないかと考えていました。血液を食糧とするコウモリの体内には血の凝固を防ぐ成分が含まれていて、それが人間のDNAと合わさる事でなんとかかんとか(うろ覚え)。法的にも倫理的にもアウトな治療法でしたが、同僚のマルティーヌ・バンクロフト(演:アドリア・アルホナ)に協力してもらい、マイケルは自身の体でその治療法を実行に移します。
その結果、杖を使わないと歩くことさえままならなかった体は、筋骨隆々な肉体へと変化。症状の回復だけでなく、アスリート並みの(って劇中で言ってたけどどう考えてもそれを遥かに超える)身体能力や、コウモリの様に超音波を発して反響で対象の位置を察知する能力などを手に入れます。しかし、常に血の渇きが収まらなくなり、定期的に血液を摂取しないと自我を失い見境なく人を襲ってしまう、非常に危険な体になってしまいました。自身の開発した人工血液でどうにか凌ぐも、その効果は長く続きそうにありません。
同じ血液の病に苦しむ幼い頃からの親友であるマイロ(演:マット・スミス)は、変貌したマイケルに驚き、自分にもその治療を施すよう懇願します。この治療法が「大きな過ちだった」と考えているマイケルは、友人まで同じような体にするわけにはいかないと、それを拒否。しかし、マイケルのいない間にマイロは血清を打ち、欲望のままに人を襲っては血を吸う怪物と化してしまう――。
というのがあらすじ。
まず。
ジャレッド・レト、50歳なん…?うせやろ…?
あの美しい顔立ちに、血清打った後の見事なマッスルボディ。“彫刻のよう”とはまさにこのことで、アラフィフにはとても見えない。そんなレト氏の美貌を存分に堪能する映画としても、大変見応えがあるかと思います。もちろんルックスだけでなく演技力も抜群なので、病気で苦しんでいるときのマイケルにも非常に説得力がありました。
あの肉体、血清打つ前も打った後も、合成とかではなくジャレッド自身の体らしいですね。まず減量をして序盤の撮影に臨み、そこから30kg増量をして以降の撮影をしたんだとか。キャプテン・アメリカ第1作目のクリス・エヴァンスでも痩せてる時の体は合成だったので、今回もそうなんだろうなーと思ってましたが、まさかどっちも本人とは…。役作りがすごいとよく言われるジャレッドですが、噂に違わぬ驚愕の肉体改造です。
余談ですが、超音波を発して対象の位置とかを探る能力。これを発動する時のブォーンって重低音が体中に響いてきてめっちゃ良かったので、これは是非とも映画館の音響で体感して頂きたいところ。てかこの能力、公開前は“バットレーダー”と呼称していましたが、本編を見ると“エコーロケーション”みたいな呼び方になってましたね。バットマンが使うガジェットが“バット○○”みたいなネーミングなので、混同するのを避けたのかな。
それから、マット・スミス演じるマイロの存在感が凄かったです。
本作の感想を漁っていると必ずといっていいほど出てくる“クソデカ感情”という言葉。その言葉の通り、彼はとにかくマイケルが好きで好きでたまらないようで、「お前の為ならなんだってする」とか「お前の頼みを断ったことがあったか?」とか、狂気すら感じるほどの想いが伝わってきました。
また、彼が血清を打ったのは、もちろん自分を苦しめてきた病から解放されたいという思いからですが、それと同等かそれ以上に、“マイケルと同じになりたい”という願望があったように思います。マイケルと戦ってたのも、「お前の力で俺たちすごい存在になったんだぜ!最高だろもっと楽しめよ!」みたいな思いからですし。うーんイカれてますねー。
マルティーヌとキスしてるマイケルを遠くから恨めしそうに見てるマイロとかも、なかなかにヤバイストーカーっぷりでした。
あと、中盤のマイロのダンスシーン。服着ながらノリノリで踊って、合間合間にカメラ目線で「シャーッ」ってやるの、面白すぎて笑いをこらえるのに必死でした(笑)
映像表現も良かったです。
高速で動くときの、煙みたいなエフェクトを纏うヤツがなんともカッコ良かったです。それと、序盤の傭兵たちを皆殺しにするシーンで、ところどころスローになるヤツも、なんというかケレン味があってカッコ良かったですね。ただそれ以降、刑務所から脱獄するとこと、あとはラストバトルくらいしかその演出が出てこなかったので、もうちょっとやってほしかったなーという思い。
地下鉄のシーンでは逆に、マイロが追っかけてきてんのをずーっとスローにしていて、いつまで追っかけてんねん…ギャグでやってんのか…?と思いました。
ラストバトルに関しては、何やってんのかわからないというほどではないものの、動きが早いのとゴチャゴチャしてるのとで、見辛さを感じてしまいました。特に地面に叩きつけて地下まで貫通するとこと、コウモリがウジャウジャしてるとこ。キメ技になった、大量のコウモリを操って敵(マイロ)に叩きつけるヤツは、コウモリ版かめはめ波みたいで僕は好きです。
ストーリーも、ツッコミどころはあれど、決して悪いものではなかったと思います。
まず冒頭の洞窟のシーン。予告編を見た感じ、あそこでコウモリに噛まれまくったことで能力に目覚めるのかと思ってましたが、特にそんな事は無く(なぜか全く噛まれない)。入口にやたら仰々しい罠を仕掛けてましたが、めっちゃ出てきてたので、何の意味も無く。たぶんここでコウモリを捕まえて研究所に持ってったんだと思いますが、そういった描写も無く。あそこで起こったことがのちに何かの役に立ったり、伏線になってたりもせず。
結果、このシーン全体に何の意味も無かったな、と。
「この映画はコウモリが主役ですよー」と言いたいがためだけのシーンな気がしました。
次に研究所のシーンで、大量のコウモリがいる事がマルティーヌにバレて、「あーいや、これはその…」みたいになってましたが、直後に普通に看護師が入ってきてたし、なんならそれ以降コウモリを一切隠したりしなくなったのにはちょっと笑いました。あくまでマルティーヌだけに秘密にしてた、って事なんですかね。
それから、FBIの取り調べを受けるシーンで、「あの傭兵どもは犯罪者だから、殺してくれてありがたいくらいだ。でも、あの看護師は違う」とか言っててビビりました。要は死んでいい人と悪い人がいるという事で、あまつさえそれを警察機関の人間が堂々と言うって、この映画の登場人物の倫理観ヤベェな…と思いました。キャップとかが聞いたらブチ切れそう。
その後、研究所はよくある「CAUTION」て書かれた黄色いテープが張られて、警察が立入禁止にしていると思われるのですが、みんな何事も無いかのように普通に入ってるし、血清もテーブルに置きっぱにしていて、セキュリティという概念は無いのか?と思いました。
後半からは拠点を使われなくなった地下鉄の駅に移し、元々いたヤンキーたちを「I am... Venom! Gao!!」って追っ払って、彼らが使っていた偽札づくりのための機械を組み替えて研究用の機械にするとこなど、楽しい場面もありました。
あと最後、「すべてを終わらせる」とか言って毒薬を2つ持ってラストバトルに臨んだマイケルでしたが、マイロに毒を打ち込んで殺した後、自分は夜の街に飛び去って終わり…ってそれじゃ何も終わらせてなくないですか(汗)
血清打った者を生かしてはおけない、だからマイロに毒を打った後自分にも…それが“すべてを終わらせる”という事、と理解していましたが、ラストで豪快に放り出していたのでビックリしました。今後ユニバース展開するために死なせるわけにいかないのはわかりますが、それならもうちょい上手いやり方があったのでは、と感じざるを得ない。
マルティーヌも死んだと思ったら、最後に目見開いて赤く光ってましたね。本当の吸血鬼みたいに血を吸われた人も吸血鬼になる、みたいなのは無かったはずなので、マイケルが駆けつける前にマイロが血清を打ったのかな。実験でマウスに血清打った時、一時的に死んだ状態になった後に蘇生してたのが伏線だったりするのかしら。そういえばマイケルが研究所に戻った後、2つ血清が残ってた気がする。ひとつはマイロ、もうひとつはマルティーヌの分、て事かな。
とまぁその辺のロジックはともかくとして、あからさまな続編匂わせ、あんま好きになれないんだよなぁ…。
…ってついツッコミどころばかり書いてしまいましたが、全体的には大きな破綻も無く、楽しく見ることが出来ました。
最後に、ユニバース展開について。
ミッドクレジットにて、『スパイダーマン:ホームカミング』のヴィランだった、エイドリアン・トゥームス/バルチャー(演:マイケル・キートン)が登場します。
『ノー・ウェイ・ホーム』では、スパイディの正体を知っている別の次元の人がMCUの次元に呼び寄せられてましたが、逆にMCUの世界でスパイディの正体を知っている人は別の次元に飛ばされる(事もある)、とか?細かく考えるとどんどんおかしなとこが出てくるからやめとこう。
少なくとも、次元の裂け目が出てきた後、空室だった監房に突然現れた、つまり彼は別の次元(マルチバース)から来た=MCUの次元とSSUの次元は明確に異なる、という事ですね。いやそりゃそうだろ、って話なんですが。
こっちの次元では罪状が何も無いという事で即釈放されたトゥームスは、その後ホムカミで着てたウイング・スーツを着てマイケルと会うのですが、チタウリの技術が無いこの世界でどうやってそのスーツ拵えたんだ…?と誰しもが思うところ。まぁこの辺も積極的に思考停止していきましょう。
恐らく、『アメイジング・スパイダーマン』の時に構想はあったものの実現しなかった、『シニスター・シックス』を改めてやろうとしているのではないかと思います。でも、本作のマイケルは悪事には参加しなさそう。ヴェノム(というかエディ)もしかり。トゥームスも根っからの悪人ではない。という事は、『スーサイド・スクワッド』のような、悪を以て悪を征す的な感じになるのかな。実現してくれたら嬉しいですが、SSUにそれを実現させるだけのパワー(魅力)があるかと言われると…うーん…。
あ、そうだ、予告編でトゥームスと何か会話してるっぽいシーンがありましたが、そこはごっそりカットされていました。それはまだいいとして、トビー版と思われるスパイディが壁に描かれているシーンもありましたが、これに関しては監督の意図したものではないらしいですね。本編にないシーンを勝手に作って入れるってそれ正真正銘の予告編詐欺なので、マジで良くないと思います。マジで良くないと思います(大事なことなので2回)。『ノー・ウェイ・ホーム』のCMでアンドリューのシーンをトムホに差し替えた事といい、ソニーはこういうとこでやらかしますね。そもそもトゥームスを予告編に出してる時点でやらかしてる気もします。
はい、てな感じで、色々言いたいことはあれど、大いに楽しむことが出来ました。
豪華なコース料理もいいけど、大衆料理屋のご飯もいいじゃない。そんな感じです。
他の作品との繋がりもほとんど無いですし、アメコミ映画って敷居が高そう…と思っている方でも気軽に見れる作品だと思いますので、興味があればぜひ見てみてはいかがでしょうか。
ということで、映画『モービウス』の感想でした。
ではまた。