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映画『劇場版モノノ怪 第三章 蛇神』感想(ネタバレ)

映画『劇場版モノノ怪 第三章 蛇神』の感想になります。
ネタバレを含みますので、お読みになる際はご注意ください。

2007年にフジテレビのノイタミナ枠で放送されていたホラーアニメ作品、『モノノ怪』。

2024年から劇場版が三部作で展開されていましたが、それもいよいよ大詰め。
三部作の最終章となるのが、本作劇場版モノノ怪 第三章 蛇神です。

大奥を舞台とした一連の物語に終止符が打たれる、完結編となっています。

 

前2作も感想書いておりますので、こちらも併せてお読みいただきたく候。

blacksun.hateblo.jp

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もくじ

 

概要

本作は、前作から1年後の大奥を舞台としています。

1作目『唐傘』では新人女中をメインとして大奥で働く人たちを描き、2作目『火鼠』では御年寄や御中臈をメインに跡目争いや権力争いが描かれてきました。3作目にして完結編となる本作では、幕府の最高位である天子とその正室である御台所がメインとなり、これまで明かされてこなかった謎がついに明かされるほか、大奥の成り立ち、そして大奥という場所そのものに潜む闇を描いているのが特徴となっています。

 

本作で監督を務めるのは、越田知明
刀剣乱舞 -花丸-』シリーズや、アニメ版『池袋ウエストゲートパーク』の監督などで知られているお方。てかIWGP、アニメなんてやってたのね。知りませんでした。

TV版で監督を務めていた中村健治は、前作より総監督という立場で全体をまとめています。

脚本を執筆しているのは、前作に引き続き新八角(あたらし やすみ)。
ライトノベル作家としての顔も持っており、劇場版モノノ怪シリーズのノベライズも担当しています。

 

キャストは主演の神谷浩史をはじめ、種﨑敦美入野自由津田健次郎沢城みゆきゆかななど、今回も豪華な顔ぶれとなっています。

 

予告編


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あらすじ

モノノ怪、“唐傘”“火鼠”の騒動から、1年。
つかの間の平穏を取り戻したかに見えた大奥に、みたび、薬売り(声:神谷浩史)が姿を現します。

その頃大奥では、天子(声:入野自由)の正室=御台所である幸子(声:種﨑敦美)がご懐妊。待望の男児を授かり、遂に世継ぎが産まれたと、祝福ムードに包まれていました。しかし幸子本人は、眠る男児を見るなり、取り乱し始め…。

幸子が取り乱す理由。そこには、大奥が誕生した経緯と深い繫がりがありました。150年に及ぶ深い因縁、“御水様”“溝呂木家”に秘められた謎、それらに込められた情念が積み重なり、モノノ怪“蛇神”となって姿を現す――

というのがあらすじ。

 

感想

生きててよかった。

そう断言してしまえるほどに、素晴らしい作品でした。

 

このシリーズにおける怪異=モノノ怪は、3つの要素によって形作られます。

ひとつは“形(かたち)”。モノノ怪の姿。そして名前。
ふたつは“真(まこと)”。事の有様。つまり何が起こってモノノ怪が生まれたのか。
みっつは“理(ことわり)”。心の有様。そこにはどんな思い=情念が秘められているのか。

これら3つを薬売りが持つ“退魔の剣”に示すことで、剣を抜き、怪異を祓うことが出来る、というのがシリーズの大枠となっています。

パンフのデザインがこの三様で
統一されてるのも神。

ということでなんとなくカッコつけて、形=ビジュアル面について、真=キャラクターについて、理=脚本そのほかについて、と分けて感想を書いていきたいと思います。

特に意味は無いし、書きにくい読みにくいしで、やる必要は全くないんですが、たまにはこういうのもいいでしょ、ってことでどうかひとつ。

 

“形(かたち)” ~アニメーション編~

毎回言ってる気がしますが、映像のクオリティは、もはやアニメーション作品の最高峰というべきレベルに達しています。

独特の色彩、独特の背景、独特のエフェクト。どこを取っても唯一無二で、ひと目見ただけで「モノノ怪の世界に帰ってきた!」という気分にさせてくれます。誇張抜きで、開始1秒から鳥肌立ちっぱなしでした。

新海誠作品が写実的な美しさだとしたら、こちらは芸術的な美しさ、といいますか。とにかくこの映像美は、ぜひとも映画館の大きなスクリーンで味わっていただきたいです。クセがあるので少々人を選ぶ気がしますが、この世界にハマりこんだら最後、もう抜け出せなくなることうけあい。

 

それと、本作はこれまで以上に動きがヌルヌルで、アクションの躍動感がとんでもなかったです。

特にクライマックスのバトルシーンは圧巻で、もう何が何やら。大ヒットした『チェンソーマン レゼ篇』でも、動きがすごすぎて逆に見づらいみたいな感想が散見されましたが、本作はその極彩色の映像も相まってさらに見づら…もとい、見応えが抜群馬でした。ただまぁ、ちょっと何やってるかわかんないところもあったので、あと何回か見に行きたいな…。

 

今回、スタッフロールがハリウッド映画並みの長さだったので、きっと凄まじいほどの労力をかけてこれほどの映像を作り上げているのでしょう。

主題歌終わってもまだスタッフロール終わらないなんて、日本のアニメ映画で見たことないかもしれない。2作目からちょっと間が空くなー、早く見たいなーなんて思っていましたが、見て納得。こりゃ時間かかるわけだわ、となりました。待たされた分、感動もひとしお。

これだけのスタッフが参加できるとは、よほど前2作が好調だったと見受けられます。もしくは、ネトフリ辺りが莫大な金を出してくれたか。なんにせよ、昔からのファンとしてはこれほどのクオリティに仕上げてくれて嬉しい限りです。

 

“真(まこと)” ~キャラクター編~

本作は三部作の最終章らしく、坂下をはじめ、アサ、カメ、ボタン、フキなど、これまで登場してきたキャラクターが集結します。

それらの登場人物は既に事情を分かっているので、「あなたがいるということは、これはモノノ怪の仕業ね」とか、薬売りさんが走り出したら「現れたのか!よし、みんな逃げろー!」といった風に非常に協力的なのが良かったです。おかげで、物語もスムーズに進んでくれていたように思いました。

 

この「味方が多い」のって、恐らく今回の薬売りさんだからこそ、って気がするんですよね。

TV版の、妖艶で、ミステリアスで、どこか近寄りがたい雰囲気を感じさせる薬売りさんも大変魅力的でしたが、この劇場版における薬売りさんはそれよりかはもう少し温かみがあるというか、フレンドリーさを感じさせるというか、若干柔らかい印象を受けました。こっちも最高に良いキャラクターで、甲乙つけがたい。

さらに言うとこのキャラクターのニュアンスの違い、演じる声優さんが変わったのが大きいように思えてなりません。色々あってイレギュラーな声優交代だったと思いますが、それをしっかりとプラスにしてみせたのは本当にすごいとしか言いようがない。しかも、本作終盤ではそれを逆手にとって、最大級のサプライズも用意してくれましたし。これについては後述します。

 

そういえば、シリーズ全体を通して、薬売りさんのルックスやスローな台詞回し、全体的な空気感など、歌舞伎をイメージしているであろうことは明らかですが、本作はそれが特に顕著な気がしました。特に、「お聞かせいただきたく候!」の場面。薬売りさん、大見得切りすぎ!と思ってちょっと笑っちゃいました。

 

ほかのキャラについては、今回のメインキャラのひとり、幸子様は、これまではなんとなくイヤミっぽいキャラという印象でしたが、「せっかく夫婦になったんだから、ちゃんと愛し合いたい」という、至極まっとうなキャラということがわかり、一気に好きになりました。そしてそんなまっとうさを持つがゆえに、大奥のしがらみに苦しみ、心を病んでいくというね…。

天子様についても、冷徹な印象だった前作までに対し、生まれたときから定められた自身の生き方に辟易し、「何者でもない者になりたい」と思いつつも、それを受け入れるしかないと感情を殺している人物で、蓋を開けてみればこちらも非常に魅力的なキャラでした。「私にはそなたを幸せにすることは出来ない」という言葉には、悲しみや諦観のようなものが伝わってきて、なんとも哀愁を漂わせていいなぁと。

前作のボタンやフキもそうでしたが、キャラを掘り下げていくと第一印象から随分変わるように敢えてしているのが、とても面白い仕組みだと思いました。

 

“理(ことわり)” ~脚本その他諸々編~

今回のモノノ怪、蛇神。

人間を圧し潰し小さな三角の箱に変えてしまう、恐るべき相手です。アレ、要は圧縮された肉片よね…。あのキレイな映像だからまだ見れるけど、リアルに描いたら相当エグイだろうし、直視できなかったかもしれない。

やはりというかなんというか、大奥の誕生そのものにまつわる、非常に根の深い“真”を持つモノノ怪でしたね。1作目から匂わされていた“御水様”との関連性も気になるところでしたが、蛇神=御水様ではないのが割と序盤から明らかになるのには驚きました。

そしてその“理”は、「心から愛しているからこそ…」という、何とも悲しいもの。自分と同じような人を生み出し続ける大奥という場所、それが存続し続ける限り情念が消えることは無く、むしろ150年かけてその思いが膨らみ続けた結果、蛇神という強大なモノノ怪へと至る。涙なしには見れないですよこんなの…。

最終章にふさわしい、濃密な相手でした。

 

さらに、本作はそれだけでは終わらない。

結局“御水様”とはなんなのか?という謎がようやく明かされたと思いきや、積もりに積もった負の感情をきっかけに現れる、“この世界そのもの”と言うべき怪異。

劇場版らしい、非常にスケールの大きい相手で大変良かったです。ただ、コイツの“理”については、色々あって脳を焼かれていたのもあり(笑)、ちょっとわかりづらいと感じました。なので、あと何回か見に行きたい。あの映像体験は1回じゃもったいない。

 

劇場版三部作で共通して描かれたテーマ、“合成の誤謬(ごびゅう)”

「大奥のため」という考えのもと守られてきたしきたりや掟、それは大奥全体で考えれば確かに「正しいこと」なのかもしれない。しかしそれは個人にとって「正しいこと」とは限らず、そうした認識のずれが小さな軋みを生み、やがてそれは大きな歪みとなって、モノノ怪を形作るに至る。

この非常に難しいテーマを、見事最後までブレることなく描き切ってくれました。公開ペースも短く、製作は相当大変だったそうですが、しっかりと形にしてくれたのはもはや“奇跡”と呼んで差し支えないのではないかと。

 

と、いうかね。

形・真・理。

この設定の時点でもう勝利が確定してるんですよね。設定がそのまま物語の構成に直結していて、怪異の謎を紐解いていくうちにどんどんドラマが深くなっていき、すべての謎が解けた後のド派手なバトルシークエンスで最高のカタルシスを味わうことが出来るという。面白くないわけがないでしょこんなの。どうやったら考えつくんだマジで。天才過ぎる。

 

天才と言えば、終盤の展開。

『怪 ~ayakashi~』から『モノノ怪』まで、作品を愛してくれた人たちへの最大のファンサービスに、最後の方は理不尽にも吹き飛んだおっさんのような顔をしながら、涙を流して鑑賞していました。

終盤を見ているときの僕の顔。

本作公開まで期間が空いたのは、「ゴタゴタのほとぼりが冷めるのを待つ」という意味もあったのかな。とにかく本当にありがとうございます。マジで天才としか言いようがないです。

 

ただまぁ…これに関しては、望まない人もいたのは事実。

そもそもこの劇場版三部作は、「社会の中で苦しい思いをしている女性を救済する物語」という位置付けで始まったものであり、だからこそ1作目は公開を遅らせてでもキャストの変更を決定したわけで。それを根底から覆すようなあの展開には、反発があるのは確かにその通りだと思います。

企画プロデュースを務めた山本幸治氏は、この責任を取ってプロデュース業から退くんだそうです。万人が納得するものを作ることがいかに難しいか、それを感じさせる一件ですね。

とりあえず、僕はスタンディングオベーションしたいくらい最高でした、と言っておきます。

 

おわりに

以上になります。
久々にちゃんと感想を書いた気がします。

僕にとっては、これからもずっと大切にしていきたい、最高の作品のひとつになりました。ぜひたくさんの人に見て欲しいです。

ということで、映画『劇場版モノノ怪 第三章 蛇神』の感想でした。

ではまた。