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映画『怪物』感想(ネタバレ)

映画『怪物』の感想になります。
ネタバレを含みますので、お読みになる際はご注意ください。

 

もくじ

 

概要

日本を代表する映画監督、是枝裕和の最新作である本作。
是枝監督と言えば、2018年の『万引き家族』で、カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを受賞したのも記憶に新しいですね。本作も、カンヌで脚本賞、及び日本映画としては史上初となるクィア・パルム賞を受賞するなど、大きな話題となっています。

本作の脚本は、映画『花束みたいな恋をした』やドラマ『初恋の悪魔』などで知られる坂元裕二が執筆しています。是枝監督が自身で脚本を書かないのは、監督デビュー作『幻の光』以来、28年ぶりなんだそうです。

また、今年3月にその生涯を終えた坂本龍一が音楽を担当しており、本作が彼の遺作となりました。劇中の音楽全てを制作する体力は無かったそうで、2曲の書下ろしと、過去にリリースされたアルバムからいくつかピックアップして使用しているとのことです。

 

思い返すと、僕は是枝監督の作品って『そして父になる』を金ローか何かで見たくらいで、他の作品は見たいと思いつつもまだ見れていないんですよね…。いずれ見ます。おそらく。たぶん。

坂元さんが脚本を務めた作品はいくつか見ていますが、特に2010年のドラマ『Mother』が強烈に印象に残っています。確か芦田愛菜ちゃんのドラマデビュー作、だったはず。第1話から大号泣させれられて、その後は毎週テレビにかじりついて見ていました。連続ドラマにあんなに夢中になったのって、後にも先にもあのドラマだけな気がします(特撮は除く)。また見たいなぁ。

 

主演は、『万引き家族』以来、是枝作品2度目の出演となる、安藤サクラ

そして、本作が是枝作品初出演となる、永山瑛太。いつの間にフルネームになったんや…と思ったら2020年かららしいですね。

また、黒川想矢柊木陽太の2人の子役が、本作のカギとなる非常に重要なキャラクターを演じています。

そのほか、田中裕子角田晃広中村獅童高畑充希など、脇を固めるのは豪華なキャスト陣。

 

予告編


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あらすじ

長野県諏訪地方の、とある町。
物語は、駅前の大きなビルで発生したひとつの火災から始まります。

少し離れた自宅のベランダから消火活動を見ている麦野早織(演:安藤サクラ)と、小学生の息子、麦野湊(演:黒川想矢)。シングルマザーの早織は、女手ひとつで懸命に子育てをしていましたが、少しずつ湊の行動や言動に違和感を覚え、学校内でいじめがあるのではないかと疑い始めます。

しかし、学校側へ詰め寄っても、煮え切らない受け答えを繰り返すばかり。
校長の伏見真木子(演:田中裕子)は、何を言っても我関せずといった態度でまともに取り合ってくれず、生徒へのいじめを疑われている担任の保利道敏(演:永山瑛太)は、悪びれる様子もないどころか、早織に対し「おたくの息子さん、クラスメイトの星川依里(演:柊木陽太)くんのこといじめてますよ」などと言ってきます。何を馬鹿な、息子がそんなことするはずがない、いじめているのはあなたでしょう、と激昂する早織ですが…。

“怪物”とは誰か。“怪物”とは何なのか。
異なる視点から紐解いていくことで、その知られざる正体が明らかになっていく――。

というのがあらすじ。

 

本編感想

何と言いますか、忘れられない作品になりました。

本作のような、「ひとつの出来事を登場人物それぞれの視点から見ることで、全く異なる見え方になる」という手法は、古くは1950年の『羅生門』や、比較的最近だと『桐島、部活やめるってよ』などで度々用いられています。個人的に『桐島~』はとても好きな作品なので、本作もかなり好きな作風でした。少々オーバーなくらいに見え方を変えてきているので、各視点でまるで別人のような印象を受けました。

 

早織の視点

まずは早織の視点から物語が始まります。

夫は既に他界しており、クリーニング店で働きながら、全身全霊で湊を育てている早織。湊には夫のような「立派な男」に育って欲しいと思っており、「結婚して独り立ちするまで」は頑張る、と湊に告げます。早織の主観が入っているので自身を美化しているところはありそうですが、彼女が一般的に見て「良い母親」であることは間違いないと思います。突然自ら髪を切ったり、深夜に古いトンネルで何かしていたり、湊の行動にものすごい不安を覚えていると思うのですが、あくまでも冷静に、気丈に振舞っていて、とても立派な女性だと思いました。

対して、早織から見た学校側の人間は、校長は何を考えてるかわからないといった感じだし、保利先生はイマドキの無気力無関心な、人の気持ちを考えられない人物のようだしで、さも学校側がいじめの事実を隠蔽しようとする“怪物”のように映ります。なので、「うわっ、コレもしかして胸糞系の映画なのか」と最初は思っていました。早織の尽力もあって学校は謝罪会見をひらくことになりますが、ここでも保利先生はどこか他人事のようで、モヤモヤが残ります。

後日、湊が階段から転落したと、学校から連絡が入ります。聞くと、保利先生に突き落とされたとかなんとか。「どうして彼がまだ学校にいるの?」と怒りを抑えられない早織は、湊のもとへ駆けつけるのですが、そこに彼の姿はなく…。背後では、金管楽器を乱暴に吹き鳴らしたような、奇妙な音が響いていました。

 

保利の視点

続いて、時間がビル火災まで戻り、今度は保利先生の視点へと移り変わります。

こちらも保利先生の主観が入っているように思いますが、彼は実直で真面目な、生徒思いの教師のように見えます。少なくとも、生徒に暴力をふるったり、いじめたりするような人物ではないことがわかります。「出版されている本の誤植を見つけ出して、それを出版社へ問い合わせる」ことを趣味としていることからも、「間違っていることが許せない」「融通が利かない」性格であることが窺えて、その後の展開に説得力を感じました。

逆に彼の視点だと、早織はありもしないことで学校側に言いがかりをつけてくる“怪物”=モンスターペアレントのように映ります。どうして謝罪に誠意がこもっていなかったのか、なぜあのタイミングで飴を舐めたのかがわかり、見え方がガラリと変わりました。また、保利先生の彼女、鈴村広奈(演:高畑充希)の、「男の“大丈夫”と、女の“また今度”は信用するな」の言葉からの、マスコミに付きまとわれて「また今度ね」と言って彼のもとを去る流れは、皮肉が効きすぎていて見事でしたね。

仕事も彼女も、全てを失い、それでも自分は暴力をふるってなどいないと、学校へ乗り込んで湊を問い詰める保利先生。湊は走って逃げだし、階段から転げ落ちてしまいます。また生徒に怪我を負わせてしまった…。学校や保護者、マスコミからの非難の声はさらに激しくなるだろう。何もかもうまくいかない現状に茫然自失になってしまった彼は校舎の屋根に上がり、飛び降りようとします。その時、金管楽器の大きな音が響いて、彼を踏みとどまらせます。「大きな音でハッと正気に戻した」といったニュアンスの描写が、なんともうまいなぁと思いました。

後日、町には台風が上陸し、激しい雨風が降り注いでいました。早織は、部屋にいるはずの湊が忽然と姿を消しているのに気づき、軽いパニックに。外からは風の音に混ざって、誰かが湊を呼ぶ声が聞こえてきます。

 

湊の視点

最後は視点が湊のものに変わり、いよいよ本作の真の姿が明らかになります。

あの時、本当は何を伝えたかったのか。あの行動の真意とは。それらが明かされると同時に、湊や依里が抱え込んでいたものが判明します。突如として湊の中に現れた感情、それをどう受け止めてよいのかわからず、戸惑ってしまうさま、そして最後に湊と依里が選んだ道…。
詳しくは是非とも実際に見ていただきたいので割愛しますが、なんかもう、胸が締め付けられる思いでした。

ラストシーン、あそこでブツッと幕を閉じるということは、2人は“そういうこと”なんだろうなぁと。また、お互い“そうなる”ことがわかった上であの場にいたはずなので、つまりは望んでその道を選んだのだろうと。そんな風に思いました。「何のしがらみも無い、2人だけの世界へ旅立った」と言えば聞こえはいいですが、この世界では幸せになれないと、生きづらいと感じてしまったのもまた事実でしょう。ほかにうまく生きていく方法は無かったのか。誰もが幸せになることは、この世界では不可能なのか…。いろいろな思いが頭を巡り、どんどんつらく悲しくなってきて、エンドロールが始まってから涙が止まらなくなってしまいました。劇場が明るくなってもまだ泣き続けてたので、周りの人は「何だコイツ…」と思ったかもしれない。隣に座ってたオバちゃん、堪忍な。

 

本作が伝えたかったこと

あくまで僕の個人的な感想ではありますが、「知らないこと、見えていないものに対して、人は自分の物差しで測ろうとする」というのを描いているのが印象的でした。特に校長先生に関しては、僕ら観客を含め、誰にも本当の姿が見えていないのだろうなぁと思います。

孫が不慮の事故で亡くなっており、しばらく休んでいたけれど最近復職したこと。孫の写真を敢えて早織から見えやすい位置に置くことで、同情を誘おうとしていたこと。近所のスーパーで走り回る子供に、足を引っかけて転ばせたこと。お孫さんは彼女の夫が運転する車に轢かれて亡くなったとされていますが、本当は車を運転していたのは彼女だったのでは、と噂されていること。
これらが断片的にわかってくるのですが、校長の視点は描かれなかったので、どこまでが事実なのか、どんな意図でそうしたのかは、最後まで明らかになりません。

しかし、湊と2人での会話のシーンで彼女が言った、「誰かだけに手に入るものは幸せじゃない。誰にでも手に入るものが幸せなんだ」という言葉。これこそが、彼女の本質であり、この映画が最も言いたかったことなのではないかと思いました。

 

音楽室で、「好きな子がいるけど、誰にも言えなくて嘘をついている」と吐露する湊に対し、「私と同じだ」と言う校長。そして湊にトロンボーンを渡し、「言葉に出来ないことはこれに込めればいい」と教えてくれます。ここで湊が放った「言葉にならない叫び」が、早織や保利先生が聞いた奇妙な音の正体だったわけですが、それは「母への切実な訴え」であり、「保利先生への謝罪」でもあるんですよね。そしてそれが、図らずも保利先生の自殺を食い止めるきっかけになった、というのがまた秀逸だなぁと。

校長がここで見せた姿を、もっと早く他の人に見せていれば、もしかするとあの結末にはならなかったのかもしれないと思うと、また胸が苦しくなります。

 

おわりに

ほかにも感想を書きたい映画が溜まっているのでね、こんなもんにしときます。

本作が受賞したクィア・パルム賞は、LGBTQ+などを扱った優れた映画に贈られる賞とのことですが、それだけではなく、現代社会に生きている、誰にも言えない思いや、生きづらさを感じている全ての人に響く作品ではないかと思いました。本作を見て、そんな人たちが少しでも気持ちを楽にしてくれたらと、勝手ながら思っております。

ということで、映画『怪物』の感想でした。

ではまた。